2021年7月10日(土)

装幀のラフ案を制作。うまく着地できず、夕方に切りあげる。

16時に事務所を出て神保町へ。まず魚山堂書店に行き、自家目録の注文品を受け取りつつ雑談。それから日本書房へ向かい、こちらも自家目録の注文品を受け取る。他は寄らずに池袋に戻る。

古書往来座で瀬戸君と話しているときに栃折久美子氏が6月25日に他界されたことを知る。行年92歳とのこと。

7月5日(月)大正時代から続く資生堂の包装紙

1990年に続いて2015年の資生堂パーラーのパッケージリニューアルを手がけたのは仲條正義氏ですが、そのリニューアルパッケージのうちの一つの〈包装紙〉は大正13年に資生堂意匠部の唯一の創立部員である矢部季によるデザインが踏襲されています。(意匠部には小村雪岱も大正12年まで在籍しています)

またこの包装紙で採用されているデザインは、Aubrey Beardsleyが装幀を手がけたBen Jonson『Volpone』(1898年)の装幀で使用された文様の形を引用したデザインとなっています。

包装紙のデザインは後に後の意匠部部員の沢令花や山名文夫を初めとした意匠部のデザイナー達、そして仲條正義氏により手が加えられ、現代に続いています。

また、この包装紙のデザインは実は矢部は大正8年に装幀を手がけた北原白秋『白秋小唄集』(アルス)で既にこのデザインを採用している事を、拙稿「「資生堂書体」とその源流としての「雪岱文字」」(タイポグラフィ学会、2017年)で指摘しています。矢部季はデザイナーとしてだけでなく、詩人としても活躍しており北原白秋の近くにいた人物でもありました。白秋の著著に度々関わっていることも合わせて、拙稿で指摘しています。

ちなみに『白秋小唄集』は、白秋の弟、北原鐵雄の出版社〈アルス〉から刊行されています。とてもかわいらしい小型本です。

7月3日(土)七夕古書大入札会2021

お昼過ぎまで入稿データの作成。一区切りついてから、神保町へ。七夕古書大入札会。じっくり見たのはまず山名文夫と山六郎のドローイングや原稿、書籍のセット「山名文夫・山六郎 関連資料」。おそらく、山六郎の肉筆メインだろうと想像していたが予想通りで山名は本と原稿のみ。山の肉筆の出所もおそらく……。あと肉筆が戦後のものだったのは中々厳しい。

それからカネボウ関係者による「博報堂・山名文夫宣材資料写真 他」はちょっとおもしろい資料があったが、ここらへんはペラで5000円以下で欲しいかな。一時間ほどで切りあげて、事務所で少し休んでから大塚へ。データをお渡ししてからひさしぶりに駅前の二階の焼き鳥へ。疲れていたのでお酒は一杯目のビールのみにして、お茶を飲み続ける。コロナ禍のせいで体力が減っている気がする。

2021年6月27日(日)『アーカイブと美術史』

先日、事務所にお越し頂いた資生堂の文化企業部のK氏に『アーカイブと美術史──『資生堂ギャラリー七十五年史 1919-1994』を編集執筆された綿貫不二夫さんにお話を伺う』(AMSEA、2020年)をお送り頂く。『資生堂ギャラリー七十五年史 1919-1994』を初めて目を通した時はその細部の情報まで徹底的に書き込む姿勢に驚いたものだけど、それもさもありなんという一次資料に徹底的にあたあった編集姿勢を確認することができた。四十代はこのほん本の編集に捧げたとのこと。

2021年6月23日(水)

新幹線の時間を勘違いして30分以上早く新大阪駅に到着。打ち合わせもあるしと早めの新幹線の自由席に乗車して帰京。いつもの駅弁。相変わらず美味しいのにとんでもなく安い。

池袋到着後、ベローチェでアイスコーヒーを飲みながらちょっと休んで事務所へ。本日は資生堂の方が三人来所。所蔵する戦前の資生堂資料をお見せしたり、色々お話しをうかがったり。ちょっとドタバタしてお見せできない資料があったのが申し訳ない。

宅配便を受け取る。こちらについては改めて。もうお気持ちが嬉しいです。夜は幸楽でラーメンと半チャーハン。久しぶりに普通のラーメンを食べたかった。

青幻社から大正から昭和初期にクラブ化粧品が経営していた出版社のプラトン社のモダンガール本が出ることを知る。大阪の出版社で文芸雑誌『女性』や『苦楽(クラク)』で知られているが、小村雪岱繫がりだと九九九会の仲間の水上瀧太郎『勤人』や里見弴『四葉の苜蓿』などの単行本も刊行していた。後に東京に進出。山六郎や後に資生堂意匠部で活躍する山名文夫も在籍している。ツイートでは6月刊になっているがAmazonでは7月刊になっているので遅れているのだろう。その遅れに親しみがわく笑

Twitterでアップしたプラトン社の雑誌の雑誌をこちらにもまとめておきます。

【プラトン社の雑誌『女性』】泉鏡花の「龍胆と撫子」や谷崎潤一郎の「痴人の愛」なども連載された雑誌『女性』。大正11年5月に刊行開始。左上から時計回りに大正12年2月号、大正15年3月号(表紙 山六郎『碧の手套』)、大正15年4月号(表紙 山六郎 表記なし)、昭和3年2月号(表紙 山六郎 表記なし)。

【プラトン社の雑誌『苦楽』】人気を博したプラトン社の雑誌『女性』に続いて大正13年1月に創刊され、昭和2年1月号よりタイトルの表記が『クラク』と変更されている。左上から時計回りに創刊号、大正14年10月号(表紙 山名文夫「クロス・ワード」)、大正15年2月号(表紙 山名文夫「道化」)、大正15年6月号(表紙 山名文夫「青葉」)。

小村雪岱の雪岱文字と資生堂書体

20180305東京新聞

20180305学会誌1

20180305学会誌2

3月5日付の東京新聞朝刊「TOKYO発」にて資生堂書体の制作者として、小村雪岱が取り上げられています。私も取材を受けまして雪岱文字について説明しました。雪岱文字と資生堂書体の関係については、拙稿「「資生堂書体」とその源流としての「雪岱文字」─小村雪岱と資生堂意匠部」(「タイポグラフィ学会誌10」)にて詳しく述べています。タイポグラフィ学会誌は代理販売をしてくださっている朗文堂のHPから購入できます。

ちなみに私は20代後半に東京新聞の図案課に一年、北陸中日新聞のデザイン室に四年弱、合わせて五年間ほど在籍していました。まさか自分がいた会社に取材されることになるとは思いもしませんでしたが、何があるかわからないものだなぁと。